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無題

『ふたりの活動は少なかった』

これは15周年のコンサートでの発言です。
聞くと心が澱んできます。

今回の年末年始のコンサートでもこれをまた言ったりするのでしょうか。


いつかの日記にふたりの活動について、「ふたりのペースで…」というように書いたことがありますが、このペースの遅さは異常です。
新曲を早く届けるよう努力しますと言ったあの時、期待を込めて一生懸命に拍手をしたんですがどうやら届かなかったようです。

新曲発売の発表でやっと日が差しましたが、どう考えても待たせ過ぎだろうという気持ちが大きくて、素直に喜べない自分にイライラしたり…。


他のグループとかにも目を向けて夢中になればこんなに不安にならないんでしょうが、どうしてもふたりとふたりに関することにしか興味を持ちません。
それどころか、年を重ねる毎にのめり込み度が強くなってしまう。

ふたりを想う気持ちが大きくなればなるほどに、ふたりの姿を見ることがどんどん少なくなっていっていく気がしています。
今はまるで氷河期のようです。



 


これから書くことは私の個人的な考えで勝手な憶測です。

光一さんのよく言う「希望や目標は持たない」「あれこれやりたいとは言わない」について…。


KinKi結成10周年の辺りの時、光一さんはミュージカルをやろうと剛さんに話していました。
デビュー10周年の辺りの時、行っていない地方にも行ってライブをしたいと何度も言ったという話をしていました。

発言としては少なくとも、心の中ではこうしたいああしたい何かがもっとあったように思います。
でもそれが思うようにならない、なかなか進まないことに一種の諦めの境地に至ったのか、「希望や目標はもたない」といった消極的な発言になったのかなと考えてしまいました。

それに、いつからか光一さんはKinKiに関して傍観的になってきているように感じます。
それは会報やパンフでの文章の端々で…。

自分の意見をあまり言わないことが良いことなのか悪いことなのか判断できませんが、KinKiが思うKinKiらしさから少しずつ離れていったりしないのでしょうか。

ふたりの言葉には「含み」が多すぎます。
もっと普通に単純にありのまま伝えて欲しいのに…。
だから、理解したい為にしたくない詮索をしてしまったりするんです。




ここから話は前に戻ります。


ふと不安になって嘆いてしまいましたが、こういうところが大好きだということはたくさんあります。

ホームグラウンドはKinKi Kidsにあると言ってくれて、お互いソロが忙しくてもそこに必ず帰ってきて笑い合ってくれること。
いつも変わらない独特なふたりの空気感。
そして、クレジットに必ずある「Produced by KinKi Kids」という文字。

これらを思い出すとだんだんと心の澱みがなくなっていきます。


ファンにも様々な思いがあります。
不安を感じている人もいれば、期待を持ち続けている人もいます。

私はファンは無力なものだと思います。
もちろん声援や拍手を送ることは大きな活動力になっていると思っています。
でも、ひとたび要望となると人それぞれの考えがありすぎてまとまらず、ふたりに届く前に消えてしまっているような気がします。
これも私の憶測ですが。


 

ともかく『ふたりの活動は少なかった』なんて言葉、これから先、聞きたくないし言わないで欲しいです。


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コメント

初めまして。
光一君がキンキに傍観的になったのは剛君の病気があったからだと思います。
それによって、剛君的には意見を言いやすいようになったからそれはそれで良かったんでしょうね。
考え方も音楽的にも全く違うのでふたりでやるのはかなり無理があるのではないでしょうか。
キンキ活動が増えると剛君が心配です。

投稿: | 2013年10月 8日 (火) 07時04分

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